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vol.52 ロックステディ3
「スカ期からのプロデューサー達」 12/02
'04
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今回もRock Steady(ロックステディ)についてです。前回書いたようにスカ時代からのプロデューサー達とロックステディが与えたReggae(レゲエ)への影響など書きたいと思います。
Sonnia Pottinger(Gay Feet、High Note):ソニア・ポッティンジャーソニア・ポッティンジャーはジャマイカ初の女性プロデュサーとして知られていますが、スカ時代から男性プロデューサーとは一味違った女性らしいセンスの光る作品を製作していました。特にロックステディ期には彼女の持つ「アイデア、独自性」と音楽に対する「愛情、製作意欲」はアーティストの起用にも表れていて音楽好きにはたまらないレーベルです。 '67年にはLINKSレーベルを失敗し傷心、無一文だったThe Melodiansをレコーディングし名曲「Little Nut Tree」が生まれます。メロディアンズの紹介でLINKSのメンバーKen Booth、The Gaylads、Delroy Wilsonも加わり名曲を残しています。 ひとつ残念なのは、彼女はアルバム製作には積極的で無かったのか?各アーティストのソロアルバムを残す程の音源が無いことです。 また彼女はアフリカン・ドラムに強く惹かれていたようでCount Ossieを起用したセッションも数多く行われています。起用方も変わっていて自分の持っているレコードではPatsy(vocal)、Lyn Taitt(guiter)、Lennie Hibbert(vibraphone)、Count Ossieという組み合わせでメントのカバーをしていて、実におしゃれで洗練された仕上がりです。 その後も70年代にはDuke Reidから音源を買い取るなど、プロデューサーとして第一線で活躍します。 Leslie Kong(Beverley's):レスリー・コングこの時期、ビジネス的に最も成功したプロデューサーがレスリー・コングでしょう。1966年、スカ時代からのパートナーDerrick Morgan「Tougher than Tough」の大ヒットで幕開けするレスリー・コングのロックステディですが、今までのプロデューサーと違う所はルード・ボーイを扱った曲が多かった事です。それらがイギリスのスキンズ達からの支持をうけDesmond Dekkerの「007(Shanty Town)」「Israelites」などのインターナショナル・ヒットを生みます。 その一方Jimmy Clifのようなスターにも恵まれトップ・プロデューサーの座に就きます。 さらに'60年代後半には刑務所から出て来たばかりのToots & the Maytalsと契約、他にもMelodians、Ken Booth、Gayladsなどアーティストに恵まれます。 しかし当時、自身のレーベル運営に失敗し、貧しさのどん底にいたBob Marley & The WailersのLPを製作、勝手にタイトルを「Best Of Bob Marley & The Wailers」と決めて発売。ウェラーズの怒りを買った1971年に心臓発作で亡くなっています。 Prince Buster(Olive Brossom):プリンス・バスタージャマイカンドリームの象徴であるプリンス・バスターもBeverley'sと同じようにルード・ボーイを唄い「Judge Dread」などの大ヒット曲もありますが、イギリスでのヒットが中心でジャマイカではスカ期のような存在感を保つのは難しかったようです。しかし、この時期のプリンス・バスターの作品はヨーロッパを中心にコレクターからの絶大な支持を受けていて、信じられない金額で取り引きされている曲も多く、ジャマイカとの温度差に驚く事も度々です。SKA、Rock StedyからReggaeへ スカとロックステディの決定的な違いは「スピードとベース・ライン」だと思いますが、ロックステディとレゲエの違いはほとんど無く、ロックステディが進化していく中で「Reggae(レゲエ)」という言葉が生まれ定着したんだと思います。
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