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vol.34  "Enter The Ska"  10/16 '01

 今回は「Ska誕生前後」について、
 ジャマイカのレコードビジネスは1950年代前半あたりからだと思うのですが、当時レコーディングされる曲はメント、カリプソと呼ばれる物で、ジャマイカの庶民よりも観光客達への物だった様です。
 当時のミュージシャン達も高級ホテルなどの仕事が主な収入だった様で、今のハワイにおけるハワイアン ミュージックの様な感じではないでしょうか?ホテルなどで演奏されていて国民にも親しまれてはいるが、シングル盤が飛ぶように売れたり、クラブで掛かったりはしない民族音楽。(ハワイは行った事がないので例えが正しく無いかも)
 
 ふつうの南の島なら観光客むけの音楽産業としてはそれほど発展しなかったのでしょうがこの国は違います、しばらくするとサウンドシステムが生まれ(この時点でジャマイカ人の音楽馬鹿が感じられます)若者達の間でジャズやブルース、R&Bなどが流行り始めます。このサウンドシステムこそ、その後のジャマイカの音楽や音楽産業を大きく変える事になったのでは無いでしょうか。
(サウンドシステムについては Vol.16 Special & Sound System で書いてます。)
 
 そこでコクソンデューク・リードなどがサウンドシステムの盛り上がりを見て、アメリカの曲だけでは無くジャマイカのアーティストによるレコーディングを開始、ここでジャマイカの音楽は観光客向けの音楽からジャマイカンの為の音楽に変わるのです、アーティストもホテルの営業からスタジオでのレコーディングへ、そして国民に対してのシングルレコードの生産率 世界一位という音楽大国に?、これはいくらジャマイカが位置的にアメリカに近いとはいえ小さな島国である事を考えれば、ジャマイカ人恐るべしと思ってしまいます。
 
 最初はアメリカの音楽のコピーから始まったジャマイカンポップミュージックですが、活動の場を与えられた数多くの個性的で才能溢れるミュージシャン(アーティスト)とジャマイカ人の「オレがオリジナル、オレがナンバーワン」の性格から「アッチコッチの音楽を自分達でアレンジしたスカ(Lord Bryner "Teach Me Ska"より)」が誕生します。

BLUE BEAT
DOCTOR BIRD
ISLAND
SKA BEAT
R & B

 そしてジャマイカの音源がイギリスでも"Blue Beat""Dr.Bird""Island""Ska Beat""R&B".....etc、などのレーベルからリリースされるようになります。1964年には、ニューヨークで行われた「Worlds Fair」にジミー・クリフ、プリンス・バスター、エリック”モンティ”モリス、そして(スカタライツではなく政治力で)バイロン リー&ドラゴネアーズが参加し、プリンス・バスターは自身の"Everybody Ska"で「スカはジャマイカ初のナショナル サウンド」と胸を張っています。Stranger & Ken もコクソン レーベルから「Worlds Fair」をリリースしています。
 
 実際ジャマイカ人の音楽に対する自信とプライドは相当な物だと思います、また、音楽(Reggae)がジャマイカ人のアイデンティティを支えていると思います、その中でもやはりボブ マーリーの存在はジャマイカ人全ての自慢であり誇りであるんだと思います、ちょっとうらやましいですね。

関連ページ vol.37 Ska Producer「スカ期のプロデューサー達」


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