SPECIAL(スペシャル)又は DUB PLATE(ダブプレート)とも呼ばれるレゲエ独特の文化があります。サウンドにとって無くてはならない物でスペシャルの量と質でそのサウンドの「力」と「経済力」が計られると言ってもいいと思います。
セレクターであれば実際作った人も多いと思いますがジャマイカでのサウンドシステムの歴史で、このスペシャルという物はサウンドシステムが始まった50年代の終わり、スタジオ
ワンのオーナーであるコクソン・ドッドの所有する"Sir
Coxson's Down Beat(the Ruler)"で使われた Owen
Gray が歌う"On The Beach"(ここでレコード紹介しています。)という曲だと言われています。
この曲がレコーディングされたのが1959年という事ですからジャマイカでレコードプレスが行われるようになったのとほぼ同じという驚くべき事が解ります(厳密にいえばフェデラル・スタジオができたという事なのかな?)ここにジャマイカ人らしい「俺のサウンドが一番」の気持ちが感じられて、いつの時代もサウンドやセレクターの精神は変わらないって思いませんか。
これは自分がとても世話になっているヴィンテージのセレクターにレコードを聴かせてもらい教えてもらったんですが、ダウンビートは当時、毎週日曜日にキングストンのビーチでダンスをしていて、そのダンスの為にレコーディングされたらしいです。
オリジナル盤はコクソンの持つ"Cariboo"レーベルから出ていますが、スタジオ ワンから出ている"Dance
Hall '63"に収録されていて、そのレコードでは当時のダウンビートの MC で "Ugly
One" こと King Stitt がフューチャーされていて当時のダンスの様子が解る貴重な一枚です。
では、それ以前のサウンドシステムはどうだったかというと、簡単にいえばオーナーのレコードコレクションが全てだった様です、しかし当時のサウンド間でのライバル意識は今以上で、サウンドのオーナーはレコードを求めてアメリカとジャマイカを行き来していたようです。ダンスの現場も今では想像も出来ないくらい危険で、Treasure
Isle のオーナーで"The Trojan"を所有していたDuke
Reid は腰のガンベルトに二丁拳銃というスタイルで有名だし、あのPrince
Buster もアマチュアボクサーからコクソンの"Down Beat"の用心棒として活躍、その後に歌手デビューという経歴の持ち主です。ちなみに当時の"Down
Beat"のセレクターは"Scratch"こと
Lee Perry だった!!
そして、そんな初期のサウンドシステムの中でも伝説となっているサウンドで当時ナンバー1と言われていた"Tom
the Great Sebastian"というサウンドのセレクターである Count
Machuki がジャマイカではじめてレコードに喋りをのせるスタイル Dee Jay = MC
を始めるのです、これが島中に広がるのですがオーナーの自殺という形で"Tom the Great Sebastian"は短い期間で終わってしまい
Count Machukiはコクソンの"Down Beat"へ移り先ほどの King Stitt
や King Sporty と共に"Down Beat"をナンバー1サウンドに導きます。
ここに書いた様にサウンドシステムの最初の10年で、形は今と全く同じ所まで進歩させてしまう当時の人間達のクリエーターとしての才能は凄いと思いませんか?日本の若いセレクターの人たちも歴史からもっと色々学ぶと選曲の幅や
MC の幅も広がります、ぜひ興味を持ってみて下さい。