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vol.49 「ジャマイカ音楽の夜明け」 11/12
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今回は「ジャマイカ音楽の夜明け」と題しましてジャマイカでの、スタジオ、レコーディング、レコード生産がどのように出来たかを簡単に書きたいと思います。
'50年代後半の主なプロデューサーにはコクソン・ドッド、デューク・リード、キング・エドワーズや後の総理大臣エドワード・シアガ(Wirl)、後にイギリスで「ISLAND」を設立する若きクリス・ブラックウェル(R&B,Island)などがいて、スカの前身になるジャマイカン・ブルースやジャマイカンR&Bといわれる甘いラブ・ソングなどをレコーディングしていました。 その後 '60年代になるとスカの大流行と共にプロデューサーとレーベルはさらに増えます。(*3) 不思議なのは当時のプロデューサーは数種類のレーベルを使っている事です(コクソンなんかは10種類以上のレーベルを使っています。)嬉しくっていろいろ作ってみたのかな? それにしても驚かされるのは当時プレスされた(膨大な数の)レコードのほとんどがFedralスタジオで録音、生産されていた事(コレクターならFC,FDR,FPBなどの綴りもに慣れてるはず)、ものすごい熱気があったんだろうなと想像するだけで楽しいですね。 そして '63年、コクソン・ドッド(Jamaica Recording Studio a.k.a. Studio one)とデューク・リード(Treasure Isle Recording Studio)が スタジオを建設してレーベルの独自性を強く打ち出し、生産のスピードが上がっていきます。 '64年にはFedralスタジオに続いて エドワード・シアガがBell Road(現在ダイナミック・サウンド)にプレス工場完備のスタジオ「WIRL(West Indies Records Ltd)」をオープン。古いスタジオ・ワンのアルバムを見るとディストリビューションも行っていた様です。 同時期にはコクソンのスタジオ・ワンも2チャンネルのレコーダーにレベルアップしています。 ロックステディの時期になると独立するプロデューサーが増えていき、ジャマイカのレーベルが把握できないほど増えていきます。 このように初期のジャマイカ音楽は作られていきました。この流れは現在も基本的には同じようにつづいています。というよりも、この流れだからレゲエはこれだけ時代によって変わって来たんだという気がします。 *1. サウンド・システムについてはReggae & Jamaica vol.16 *2. スカ誕生前後の事はReggae & Jamaica vol.34 *3. ロック・ステディについてはReggae & Jamaica vol.50(次項) |